テーマだったので伊沢修二について調べたが
1895年、日清戦争に勝った日本は下関条約によって台湾を植民地にした。そこで同化政策の一環として日本語教育が行われるようになったんですが
そのときに台湾での日本語教育の創始者であった人。でもその教育政策に台湾人が抵抗して伊沢の留守中に連れて行った六人の教師が台湾人に殺されてしまうんです。
これはすごくショックな出来事だったと思いますが、彼はこれを利用し、ますます植民地化に拍車を掛けていき小学校で国語、日本語教育が最重要視されたり、
全家族国語として日本語を話す家には『国語の家』というような名誉の看板を掛けられる制度ものちにはあったそう。
それゆえ学校で習っている生徒だけではなく、国語塾などで熱心に学ぶ年配層の姿もあったということで、日本が敗戦を迎えるまで57%の人が、日本語を理解できるようになっていたそう。
だから金城武並の人はいくらでもいたのでしょう。
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