2005年3月25日金曜日

ライブドアの騒ぎ

ライブドアの騒ぎを一連のニュースで見ているが、今回の件は、たとえライブドアが経営件を握ったとしても社員を上手くコントロールはできないのではないかと思う。ラジオのリスナーというのは何年にも渡って、同じ番組を聞き続けているケースが多いような気がする。(かくいう私も会社の出勤時間が同じだったときはいつも同じ番組に耳を傾けていた。それから夜聞く森本哲朗の声で疲れを吹き飛ばしたり、中島みゆきの声で元気にさせられることもあるし、FMの元気なステレオ音で、疲れを取り戻した。)そういうリスナーが今回の件で離れてしまうのではないかな?と思う。深夜番組の時間帯はともかくとして、ラジオを聞く人間というのはいわゆる「ながら族」が多い。その時間音がないのが寂しいが、テレビを見たりすることのできない人たちが聞いていて実際その人たちが、私はネットに全員移行できるとは考えない。それに、若い人間が考えているほど流行を追いたいと思っている層ではないような気がする。それに所詮自分の持っているCDしか聞いてない人間にはラジオの必要性なんてわかるわけないのだ。
 それにラジオのいいところはどんなに流行遅れの歌でも、どんなに少数派の意見でもいいと思ったら採り上げてくれるところなのだ。いわばリスナーと近いところなのだ。
 インターネットは、ページがヒットしなくなったら、新しいページを作ればいいし、メル友もいらなくなったら、自分がメールを断ってしまえばいい。会ったことのない、人間とは本当にメールやつながりが長続きしないものだ。
 でもテレビ放送やラジオ放送はそういうものとはかなり種類、性質が違う、自分が要らないと思ってもついつい使ってしまう道具に似ている。
 だから堀江社長が言うような、もしランキングによってニュースを取り上げたとしたら、若い人間が好みそうな話題ばかりになり、それこそ、ラジオを聞く視聴者層とは実際かなりほど遠くなるのではないのではないかと思う。社員側の言うこともうなずける。最初に、「テレビやラジオは将来なくなるのだから・・・」というあの発言は、本当にいただけない発言だったと思う。
 海外にいて思うのは、単純に宣伝の付いているテレビを見たいと思うこと。海賊版DVDは町の至る所に売られているから日本のテレビドラマには事欠かない、インターネットでニュースは見れるものの、やはり疲れて帰ったときぼーっと何となくつけられるテレビやラジオが恋しい。企業側にまったくはめられている(宣伝を見させられている)んだけれどもそれでもやっぱり、民放各局が一斉に同じテーマで流すニュースや教育的な発言をする、評論家の顔が見たい。
 中国のニュースとは本質的に異なるんだよね。記事が・・・中国はきれい事で物事当事者が発言することが多いけれども、日本人は、その逆このままではいけないと、解く。日本は危機感をあおるのだ。そういうものによって人が狭い中で競争している国なのだとつくづく思う。時々息苦しくなったりするが、そういうことからいろいろなものがうまれ、便利な社会になったのかな?とも思う。正直それが本当に妙に懐かしいと思うことだってしょっちゅう。

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