2006年6月7日水曜日

グズをなおせば人生はうまくいく 問題解決編

[tmkm-amazon]4479790705[/tmkm-amazon]

引きこもりの人が是非読んでみるべき一冊。
 第2章のネガティブグズの欄がとても良かった。忘れないためにここに記載させていただきます。


(本文より)
 不景気風が吹き荒れる中、金融機関に勤める純一さんは、まさかのリストラにあった。失業したのだ。
これまで自分なりに一生懸命会社の為に尽くしてきたつもりだったし、決して駄目社員だったわけでもない。現実を否定したい気持ちはやがて、「さんざん働かせた人間に対してクビとはむごすぎる仕打ちではないか会社の誠意はどこにあるんだ!」という怒りに変わった。
 その怒りが行き場を失うと今度は「今ならまだ取り返しがきくかもしれない。がんばってリストラ宣告を取り消して貰おう」という気持ちがクビをもたげてきた。失業のXデーまで3ヶ月。純一さんは心の中で葛藤を続けなかなか失業という現実を受け入れることが出来ないまま家族と退職について話し合うことを先送りにしてしまったのだ。
 その間、会社から転職先を紹介されたものの「これにのったら、会社から本当に放り出されてしまう」と二の足を踏んだ。
 
 家族にようやく「会社をクビになった」と打ち明けたのはクビ防止の奮闘むなしく退職日を迎えて一週間たってからのこと。「有給をとったんだよ」という嘘の効力が切れたときだった。
 妻は「どうして今まで黙っていたの?」と起こるし、ショックを隠そうともしない。それでも数日たつと気持ちが落ち着き「頑張って再就職先を決めよう」と応援してくれたが純一さんはすっかり気力をなくしてしまったのだ。年収1千万以上のエリートサラリーマンだった純一さんは、口を開けば「年収が下がるような転職はしたくない」「銀行マンとしてのキャリアを生かせなければ意味がない」「この年になって新しい仕事をしてもしょうがない」と否定的な見解ばかり。
 再就職活動らしきこともほとんどせず、たまにハローワークに足を運んでも「やっぱり自分の望む会社はない」とため息をついている。

 自身を取り戻すには?
 まさかのリストラ宣告・・・・誰もが気落ちして当然の一大事件である。
 勢い、人は自分に対する自信を失ってしまう。リストラされたことにより、自分の人格、人選を否定された気分になるからだ。純一さんのように、現実を受け切れがたく、何となく会社にしがみついていたいともがく人も多いだろう。
 こういう話を聞くと私は映画にもなったタイタニック号の悲劇を思い出す。というのも船が氷山に衝突したとき沈没すると警告されたにもかかわらず、人々の多くは船が大きく傾くまで救命ボートには移ろうとはしなかったと伝えられているからだ。大海原に漂う小さなボートより不沈と喧伝されたタイタニック号に残る方が安全だと錯覚してしまうのだ。
 純一さんの場合も倒産しそうな会社にしがみつこうとしているような物実際はクビになたわけだが、会社の「不倒神話」信ずるあまり一人で社会という大海原にこぎ出す勇気がもてなかったのである。そこには「失業=社会的な死」という思いこみがある。
 
 (略)

実際リストラと聞くと人は「無能だからだ」と思われがちだがそうでもない。「再就職が十分に可能だ」という要素も大きな判断材料である。リストラの目的は路頭に迷う社員を生むことではない。人件費を削減することが目的なのだから「有能な人材だが高級を支払う余裕はない」場合だってある。
これはたとえばプロ野球の球団経営と比較するとわかりやすい。言葉は悪いがあまり資金力に恵まれない球団では「チームに欠かせない優秀な選手だが、それだけにぎゃらが高くなりすぎた」ために、手放さざるを得ないことが往々にしてあるのではないか。同じ事である。


  こんな風に自分を納得させたら次はエリート意識を捨てることだ。
  純一さんの場合おレベルの高い年収や大企業で築いたキャリアにこだわるから行動力が鈍る。再就職先を探す前から「前と同等またはそれ以上の条件で働くのは不可能だ」という絶望感を暮らせてしまうことになる。
 プライドを守りたい気持ちはわかるが、個個は一度、気持ちを白紙にして将来プランを練った方が身の為だ。折角点から与えられた転職のチャンスなのだから昔を引きずっていてもいいことは何もない。もちろん年収や職種は職探しのキーになる条件だから自分の希望に目をつぶれとは言わない。タダ、自分にはその道しかないとこだわるのではなく、一つの選択わざととらえることが重要だ。多角的な視点から自分を見つめ直してみると意外と「他にも道がある」ことがみえてくる。

  (略)

 リストラショックから立ち直る方法

 ちなみにイギリス人は学校教師や銀行マンが転職先としてタクシーの運転手、スーパーの店員などを選ぶそうである。日本人のように見えや街ぶんんあどを気にしないこともあるが、働くことの意味や養う義務を考えれば職業は何であれこだわる必要はないのである。良い就職先がないといって社会や他人の製にして一日中家にこもってだらだらぐずぐずしているより、どんなhしごとデモ汗を流して働くことが一番である。
 

 私はこの文章を読んでとても励まされました。、少しでも給料は高い方が嬉しいし、見栄だって張りたいのは事実。でも食べていくっていうことはもっと泥臭いものなのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿