最近ハンドメイドというキーワードに引っかかっている私。
でも今日クロワッサンって言う本を立ち読みしたら、節約術みたいなのが載っていて、私にはあり得ない、節約方法でした。例えば、100円均一のラックや、カラーボックスの多様など、
そういうのはおしゃれじゃないし貧乏神にまるでとりつかれた感じでちょっとね。と思います。
でもハウスメーカの家でもなく団地の一間でも、おしゃれに質素であってもハンドメイドしながら生きている人にはあこがれます。
わたしは小さい頃は母親やおばあちゃんが機械編みの先生でそれを生業にしていたので、余った糸などで結構、毛糸のパンツなど流行かまわず、着させられて来たんです。小学校5年生くらいの時におばあちゃんが作ってくれた、セータの袖口があまりにださかったので、5回くらい直させてそれでも気に入らなくて、着なかったこともあって家族中で変人扱いされていたっけ。私の友達の誕生日にも、ベストを作ってくれましたがおせじにも素敵といえない雰囲気のもので、友達のお母さんは迷惑がっていたように思います。でも子供心には祖母が一生懸命編んだものを友達が気に入らなかったとは言えませんでした。それから紫色のセーターを着ていたおかげで友達からいじめにも合いました。
今は紫は禁句な色ではありませんが、当時は女性に紫は駄目だったんです
そんなこともあって、ハンドメイドの物を作って人に送ったりすることも嫌いだし、飾り物も好きではないので、人のうちにいってごちゃごちゃしている棚なんか見ると整理してあげたくなってしまう性分の私。
ネットを見ていると日本人はハンドメイドに対しては意外に手厳しいですね。ブログには「人からもらった物はいらない」みたいなことが書かれてあったりして。
たしかに私も以前友達からたった一つだけもらったコースターの処理にはすごく困った記憶がありました。
最近は結婚式も人に押しつけないように呼ばなければ、お葬式も内々で、呼ばないのが普通になってきています。
気づいてみると、人間関係って子供がいたり仕事があるうちは厚いですが
そこから外れちゃうと、すごく希薄ですね。
ハンドメイドって、やっぱり自己表現の一つかなと思うんですよね。
差し上げた方には自分を理解して欲しいという気持ちがこもっている物。
ハンドメイドを通して、自分と気の合う友達を見つけたいなみたいな可能性
を秘めているものかな?
一流コーディネーターが選んだ、素敵な物しか受け入れられないみたいな手厳しい意見もあるみたいですが、本来は私は物作りは大好き、
封印していたひもをそろそろ両親にも内緒で解こうかと思っております。
人に受け入れてもらうためには自分のセンスが誰かに受け入れられない限りは工業製品以下になってしまうリスクを感じてはいますが。
ドイリーなどお店を見る限り、ベトナムかタイか、中国の女の子が汗を流したと思われる商品の数々が並んでいますが、 手に入れる労力なくして手に入れた製品の価値の軽さ。どんなブランド名
がついていても愛着がわかず数年たって流行が過ぎて、色が合わなくなれば、ゴミ箱に簡単に捨てられちゃいます。私にとって、捨てたくても捨てられない重みみたいな物が今は必要な時なのかなあ?と。
社会へ出てからこうやって20年近くお金を得るためにそれこそ自分の時間を削って働いてきましたが、ゴミ箱にぽいぽい捨てるだけの人生しかない気がするのです。
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