2011年2月14日月曜日

日本人女医



ハイチで活動なさっている日本人女医の方のドキュメンタリーを観ました。

なんとお年は84歳とのこと。高齢を理由に第一線から退いて相談役になっていたそうですが、ハイチ大地震をきっかけにまた復帰されたとのこと。ご自分はたまたま日本に一時帰国していたときに地震にハイチが遭遇したそう。まさに自分の人生のすべてをかけてきたものが、あの地震によって一瞬で失われてしまったのですね

 海外各国から支援金は届く。けれども、病院が建てられた後の運営など全く考えられない形での寄付であり、設計変更を認めないという。地震後小学校の隣に結核病棟を建てようとしていて、またその病院が結核患者だけでなく一般の患者も受け入れる総合病院に生まれ変わらせようと政府で計画が進められている。そこにいろいろな支援ビジネスが複雑に介在しているよう。日本政府関係者に会いに行っても、お互いの国の立場があるので助言できないと断られる始末。

 それまで働いてきた現場医師の声が全く届かない形での病院建設がなされようとしていて、医師であるのにその対応に奔走する生活を送っておられる生活の模様が描かれていました。
 
 正直寒い地域でないのに結核患者が出るのがなんでと思いました。伝染病だけに1度出始めると貧しい地域では蔓延する病気なのでしょう。私は呼吸器系の病気で、以前結核を専門に治療していた病院に通院していた経験がありますが、X線写真を撮る機械に不織布がかけられていて使い捨てになっていて、漠然と怖かったことを思い出しますが、自身や周りの人間が結核にかかった経験はありません。
 日本では普通の医師が診ても結核の診断ミスとか結構あるそうなのでほとんどの人は感染する危険のない病気になったということなのでしょう。

 ハイチはコレラの感染も拡大しているそうですし、両方かかってしまった場合に死の危険性が出てくるとのこと
  
 

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